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東京高等裁判所 昭和46年(う)1134号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年に処する。

押収にかかる脇差一振(東京高裁昭四六年押二五七号の一)を被告人から没収する。

原審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

(控訴趣意)

弁護人大久保弘武提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

(当裁判所の判断)

一、控訴趣意第一点について。

所論は、原判示第一の事実につき事実誤認ないしは法令の解釈適用の誤りを主張し、原判決は、被告人の原判示第一の所為につき暴力行為等処罰ニ関スル法律一条の二―一項を適用しているが、同条は、傷害の故意ある場合にかぎって適用されるべきところ、被告人の本件中村保に対する傷害行為が傷害の故意をもってなされたものとはとうてい認めることができないから、この点に関する原判決の誤りは、判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

おもうに、暴力行為等処罰ニ関スル法律一条の二―一項に規定する傷害の罪は、その行為者に傷害の故意ある場合にかぎって成立するものと解すべきことは所論指摘のとおりである。

そこで、本件についてみると、その被害者である中村保は、はじめ司法警察員に対しては、「伊藤は、腰のあたりからぬきみの日本刀、刃渡り四〇センチメートルくらいを突き出して「この野郎。」とかいって私の腹のあたりめげけて突いて来たのです。伊藤と私との距離は一メートル位離れており、その距離からぬきみの日本刀をついて来たので、私はびっくりし、刺されてしまうと思い、とっさにうしろへ四~五〇センチさがったのです。一回目の突きはよけきれ、ふたたび何かいいながら一~二回突いて来たので、これはたまらないと思い、うしろに逃げたのです。すると伊藤は、日本刀をふりあげて切りにかかって来たのです。私は……ふりはらって来るのを夢中で何か持つ間もなく、素手で日本刀をはらうようにしたのです。私は、刺されまい切られまいとして必死に素手で防戦したのです。そのうち伊藤がどんな状態で日本刀を振ったのか覚えがありませんが、とにかく私に切りつけて来たので、両手で自分をかばおうとしたところ左手の指を切られてしまったのです。……これ以上素手で防戦していれば、刺し殺されるか切り殺されてしまうと思い、店の奥の方に逃げこんだのです。」と、被告人の攻撃がいかにも激しく、しかも日本刀をふりあげてまで斬りかかって来たように述べていたが、その後一〇日くらい経過した検察官の取調のさいには、「私は『しょうちゃん』のおかみと話しをしており、伊藤が入って来た音で入口の方を見ましたら、伊藤だったので、椅子から立ち上り伊藤と正対したところ、伊藤が、「この野郎。」といいながら持っていた日本刀のきつさきを私の腹のあたりを突くようにして突いて来たのです。それも二度、三度突いて来たのです。それで私も殺されると思ったので、すぐ横の座敷に逃げこんだのですが、伊藤が突いて来る日本刀を避けているうちに、私の左手の指を斬ってしまったのです。」と述べているだけで、被告人が日本刀をふりあげて斬りかかって来たとか、あるいはそれをふったとかいうことはすこしも口にしておらず、その間の事情はじゅうぶん理解できないが、いずれにしても、これらの供述自体からすれば、当時被告人に傷害の故意かあるいは少くともその未必的な故意があったものと理解できないこともないようである。そのうえ、被告人の手にしていたものが脇差という人の身体を傷つけ易い危険な兇器であることや、それをまた、被告人がわざわざ自宅から自動車を走らせて携行して来たことなどを考え合わせると、右の見解も、それ自体としては、まことに一理あるものといえないことはない。しかし、なおよく考えてみると、もともと、被告人がこのような兇器を持ち出して来たのは、原判決も認定しているように、当夜妻伊藤三重子と共に飲食店「しょうちゃん」こと長谷山よしゑ方で飲酒しているうち、隣席に居合わせた中嶋肇、長谷川時夫らと些細なことから口論をはじめ、とくに中嶋が三重子を指して、「おばあ」と呼んだりしたことから気分をこわしたことに発端しているのであって、中村も、もとより、右中嶋らの仲間の一人ではあるが、そのころ自分の知合いの女性を掛川駅へ送りに行ったりしていたことなどもあって、被告人との間の右いさかいには直接のかかわり合いもなかったのであるが、ただ、被告人が後刻脇差を携えて「しょうちゃん」に立ち戻ってきたときたまたま同人がまだ店に居合わせたため、はからずも同人をめぐって本件事犯がひき起こされたものである、という経緯からしても、被告人の目ざす相手が前記中嶋らであったことは想像するに難くないのである(現に、被告人は、中村が奥座敷に逃げこんでからは別段その後を追おうともしないで、こんどは店に出て来た右中嶋に立ち向かい、同人に対して前記脇差をふり上げているのであるが、しかしこのときにも被告人がはたしてその脇差をふりおろしたかどうかは、証拠上必ずしも明らかでない。)。それに、被告人が中村に対して脇差をふり上げたというのならば格別、そうでない以上は原判決のいうようにこれをもって同人の腰をめがけて突きかかって来たのか、あるいはまた、被告人が終始一貫して弁解し、さらにはこれに加えて右中村が原審で証言しているように、単におどかすつもりでその脇差を突きつけたに過ぎないのかは、相当微妙なことばのあやの問題にもなりかねないのである。そのうえ、前記飲食店「しょうちゃん」の店舗は、間口一間半、奥行二間半のせまい店舗であり、しかも、被告人に中村との距離間隔は、わずか一メートルくらいに過ぎなかったのであるから、そのさい、もし被告人に実際中村を傷害しようとする意思があったものとすれば、なんのふせぎ道具も持たない素手のままの中村を刺すなり斬るなりすることはきわめて容易であったと思われるのにかかわらず、被告人は、すこしもそのような挙に出ていないばかりか(ちなみに、中村の受けた左手指の傷は、同人が被告人の脇差を手で払いのけようとしたさいに生じたものであって、被告人が刺したり斬ったりしたためにできたものではない。)、中村が店の奥座敷に逃げこむのを見てもあえてその跡を追おうともしていないことなどからみると、少くとも被告人が脇差を抜いて中村に立ち向かって行った時点においてすでに同人を傷害する意思が未必的にもせよあったものと断定するについては、なお証拠判断上、その間に合理的な疑いをいれうる余地があるものといわざるを得ない。もとより、被告人が、所携の脇差(抜身のもの)を中村の身辺に突きつける行為それ自体は不法な有形力の行使であり、したがって、これを手でふり払おうとした中村に対して原判示のような傷害を負わせた点について刑法二〇四条所定の傷害罪の責を問われるのは格別、原判決が、これを暴力行為等処罰ニ関スル法律一条の二―一項に問擬処断したのは、事実を誤認したか、または法令の解釈適用を誤ったものというほかなく、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れ難い。論旨は理由がある。

よってその余の控訴趣意(量刑不当)に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従って当裁判所は、さらに次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

原判決の罪となる事実第一のうち「……抜身の右脇差を手にして同人の腰をめがけて二度、三度と突きかかり、よって同人に加療約一〇日間を要する左手拇指、中指切創の傷害を負わせ、もって刀剣類を用いて人の身体を傷害し、」とある部分を、「……同人を威嚇するため抜身の右脇差を手にしてその身近かに二度、三度と突きつけ、よってこれをふり払おうとした同人の左手拇指および中指に加療約一〇日間を要する切創の傷害を負わせ、」と改めるほか、原判決の罪となる事実と同一であるのでこれを引用する。

(証拠)≪省略≫

(累犯前科)

原判決掲記のとおり。

(法令の適用)

本判決が引用する被告人の原判示第一の所為(ただし、前記のように訂正したもの。)は、刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、同第二の所為は、銃砲刀剣類所持等取締法三条一項、三一条の三―一号にそれぞれ該当するので、各所定刑中いずれも懲役刑を選択し、被告人には右累犯となる各前科があるので、それぞれ刑法五九条、五六条一項、五七条により三犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文但書および一〇条により重い傷害罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期範囲内で後記の諸事情を考慮して、被告人を懲役一年に処し、押収した脇差一振(東京高裁昭四六年押二五七号の一)は、本件傷害の犯行の用に供した物で被告人以外の者の所有に属しないから、同法一九条一項二号、二項によりこれを没収し、原審における訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑事情)

被告人の本件犯行は、いかに酔余のこととはいえ、年甲斐もなく些細なことから同席の酔客らと口論をはじめたそのあげく、執ようにもそのしかえしをしようということで、深夜に及んで脇差のような兇器を自宅から持ち出して元の店に引き返えし、たまたま居合わせた被害者中村にいきなりこれを突きつけ、たとえ、被告人には中村を傷つけるまでの意思がなく、ただ同人が驚がくのあまりみずからその手で払いのけようとしたはずみとはいえ、その手指に原判示のような傷害を負わせるにいたったものであって、その責任はけっして軽いものということはできない。これに加えて、その他、本件犯行の前後にわたる被告人の言動、その前科歴ないし平素の行状等記録上窺われる諸般の事情を総合勘案するとともに、他方被害者ら一味の者の当夜における振舞いにも相当責められてしかるべきふしぶしのあること、および本件についてはその後被害者との間に示談も成立していることなど被告人に有利な諸事情をも合わせて考慮のうえ主文のとおり量刑処断した。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長判事 樋口勝 判事 目黒太郎 伊東正七郎)

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